帰雲院について

宗派

禅宗 (臨済宗)です

歴史

帰雲院は、南禅寺の塔頭で 規庵祖圓禅師(南院国師)の塔所です。

南禅寺の創建開山

南禅寺は今から約700年あまりの昔の正応4年(1291年)亀山法皇が開基となって大明国師(無関普門禅師)を開山に迎えて開創されました。
亀山法皇は10歳にして皇位に就かれ(第90代天皇)蒙古襲来という国難に立ち向かわれました。法皇は文永元年(1264年)東山三十六峰の中央独秀峰と羊角嶺の囲む地に離宮を造営、禅林寺殿と名付けられました。正応2年(1289年)にこの地で落飾(出家)され法皇となられました。

「文応皇帝外紀」によると、離宮に妖怪な事が起こり、その鎮座に招かれたのが、東福寺3世の無関普門でありました。普門は雲衲(修行僧)20名と共に離宮に留まり、坐禅・掃除・勤行と、禅堂そのままの生活を送られただけで、事は終息したといわれています。

のち、亀山法皇は無関普門(大明国師)を開山として迎えられましたが、まもなく遷化(死去)されてしまいました。亀山法皇は普門の意に従い当時20名の雲衲の首座であった規庵祖圓(南院国師)を選任されました。
規庵祖圓は一宇もなかった禅寺としての南禅寺の伽藍建立に生涯を捧げられました。

南院録に
「竜山一夏 空しく過ごさず。ある時は土を搬し、ある時は石を曵き、ある時は鉄柱を撼動し、ある時は縄頭を把定す」
国師が伽藍建立の大工事に、雲水を率いて自ら陣頭に立って活動された様子がうかがえます。南院国師を創建開山とお呼びするゆえんであります。

遺骨は禅師の遺言により帰雲院に納め塔所となりました。のち後醍醐天皇はその功績をたたえて南院国師の号を謚られました。
帰雲院のある場所は南院国師と亀山法皇が好んで訪れたといわれています。

ここは、東山三十六峰に抱かれたところで、 山鳥は夕ぐれになると 雲の流れと共に山の彼方へ帰っていきます。
創建当時は帰雲庵と呼ばれ国師も法皇も静かに心休まれておられたことでしょう。